2012年 01月 06日
冬の歴史探訪Part4 ~毛越寺 前編~
今回は平泉へ!!
世界遺産に登録された5資産の中の1つ、
『毛越寺』です。
※※※特別史跡・特別名勝 毛越寺※※※
毛越寺は奥州藤原氏二代基衡の建立です。
『吾妻鏡』によれば、全盛期には金堂(本堂)円隆寺を中心に
堂塔四十余宇、禅坊五百余宇が建ちならび、
伽藍の荘厳さは吾朝無双と評されました。
円隆寺、講堂、常行堂、法華堂などからなる伽藍の背後には
塔山がそびえ、前面には大泉が池が広がります。
当時の建物はすべてを失っていますが、基壇や礎石は
良好に跡をとどめ伽藍の旧状をうかがい知ることができることから、
特別史跡に指定されています。
大泉が池を中心とする毛越寺庭園は、国を代表する
平安時代の「浄土庭園」として名高く、
特別名勝にも指定されています。
(毛越寺入口手前にある説明板より)
特別史跡、特別名勝の二重指定を受けている例は、全国でも数少ないのだそうです。
その内の1つがこの毛越寺なんだそうですよ!
こんなに素晴らしい場所が、こんなに近くにあったなんてw(゚o゚)w オオー!
拝観所のある門を潜り抜けます。
1月20日に行なわれる、『二十日夜祭』の準備が始まっており、
本堂へと続く道には、沢山の提灯がぶら下がっていました。
その道の途中に、1689年に松尾芭蕉が平泉の高館で詠んだという有名な句、
『夏草や 兵どもが 夢の跡』の句碑があります。
向かって左の小さな碑は、芭蕉の直筆であるとされ、
右の碑は1806年に地元の俳人達によって建てられた副碑だそうです。
こちらは『毛越寺伽藍復元図』↓↓↓
藤原基衡が建立した壮大な伽藍は焼失してしまいましたが、
当時の華やかな様子が頭に浮かびます。
まずは本堂にお参りします。
平成元年に建てられたので、まだ新しく感じますね。
本堂の奥には本尊である薬師如来像などが安置されています。
南大門(なんだいもん)跡を通って浄土庭園をまわってみます。
南大門跡は毛越寺の正門があったところで、両脇には仁王像を安置していたそうです。
また、門の左右に築地塀があったそうですよ。
礎石が12個完存しているとの事。一つ一つが大きくて、カメラに入りきりません!
大泉が池は氷が張っていて真っ白。
池にぽっこりと浮かぶ中島には橋がかけられ、(よく見るとその跡も見えます。)
金堂(本堂)円隆寺へと繋がっていました。
こちらは築山(つきやま)
海岸に迫る岩山を表現しているとの事。
確かに、今にも荒々しい波が岩山に打ちつけそうですが、ここは池。
築山を過ぎると、あやめ園が見えてきました。
昭和28年に平泉町民があやめを植え、
翌年明治神宮から100種100株を譲り受け、徐々に種類を増やしていったそうです。
現在は300種3万株の花が咲き誇るそうですが、今は雪の中。
綺麗な花を咲かせるのは6月中旬から7月上旬だそうです。
ここからはダイジェスト風に…、
開山堂。
毛越寺を開山した慈覚大師をまつっているという御堂です。
嘉祥寺(かしょうじ)跡。ここにも礎石が残っています。
藤原基衡が亡くなった後、三代秀衡が完成させた御堂だそうです。
講堂跡。仏法を説き、仏法を聴く御堂だったそうです。
ここの礎石は34個が完全に残っていて、
中央には像が安置されていたとされる仏壇が残されています。
そして、当時の毛越寺の中心的な伽藍だった、
金堂園隆寺跡
基衡が沢山の宝を尽して建立したそうです。
本当に立派だったことでしょう…。
東西に廊が出て南に折れ、その先端には鐘楼、経楼があったそうです。
経楼跡
鐘楼跡
この位置関係からも、かなり大きな建物であった事が分かります。
焼失してしまったのが本当に惜しいです。
池の周りを半分まわっただけで、毛越寺がどれだけすごいのか身にしみて分かりました。
ですが、真冬の冷たい風の中ちらつく雪…(泣)寒さも身にしみてきました。
美しい雪景色の中、気合を入れ直して見学を続けます。
後編につづきます。
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